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東西若手競演場 第二幕【桂九ノ一・三遊亭ごはんつぶの回】

山寺宏一、月亭方正、春とヒコーキも。あの人たちと「落語」の意外な関係

シブチカ落語研究所
10月9日
読了時間: 10分
声優、芸人、放送作家、映画監督。活躍する場所は違っても、その経験やルーツをたどると、意外なところで落語につながります。
声優、芸人、放送作家、映画監督。活躍する場所は違っても、その経験やルーツをたどると、意外なところで落語につながります。

公開日:2026年10月9日

文=シブチカ落語研究所


テレビや映画、ラジオでおなじみの人たちにも、実は落語家として修業した人や、学生時代に落語を演じていた人、落語と深いつながりを持つ人がいます。


月亭方正さん、桂三度さん、山寺宏一さん。さらに、漫才師、俳優、放送作家、映画監督、今活躍している若手芸人まで見ていくと、意外なところで落語につながります。


一人で人を笑わせる。何人もの人物を演じる。話を組み立てる。客の反応を見ながら、その場を動かす。


さまざまな分野で活躍する人たちと落語のつながりをたどると、落語という芸の中にどれだけたくさんの技術が詰まっているのかも見えてきます。


月亭方正さんが落語家としてのキャリアを始めた理由

月亭方正(つきてい ほうせい)さんは、長く「山崎邦正」の名前で『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』などに出演してきました。


テレビタレントとして活動を続ける中、39歳のころに桂枝雀さんの『高津の富』を聴き、落語に強く惹かれます。


当時の方正さんには、生身のお客さんを前に一人で20分を任されたとき、「自分には一人で見せられる芸がない」という思いもあったそうです。


2008年には月亭八方さんのもとで落語を学び始め、「月亭方正」として初高座。テレビでは山崎邦正、落語では月亭方正という二つの名前で活動する時期を経て、2013年に芸名も月亭方正へ一本化しました。


そして、落語を始めたことで、それまでテレビではつかめなかった感覚にも出会います。


『ガキ使』で大きな笑いが起きた日でも、方正さん自身には「自分が笑わせた」という手応えがなく、長い間「神頼み」のように感じていたと振り返っています。


番組の流れにはまってうまくいく日もあれば、そうならない日もある。


ところが落語では、一度きちんとウケた噺を別の場所で演じても、また同じところで笑いが起きます。そこで方正さんは、笑いは運だけで起きるものではなく、技術として再現できることを実感したそうです。


何十年、何百年と演じられてきた噺には、話の運び方や間、人物の見せ方が磨き重ねられています。


テレビで長く笑いの世界にいた方正さんが、40歳を目前にしてその技術と出会ったという話は、落語という芸の強さをよく表しています。


桂三度さんは、漫才、放送作家、ピン芸人を経て落語へ来た

桂三度(かつら さんど)さんは、1991年にNSC大阪へ入り、山下しげのりさんと「ジャリズム」を結成しました。関西で人気を集めて東京へ進出したあと、1998年に一度コンビを解散します。


そのとき29歳だった三度さんが、「もっといい芸人になるために何をすればいいか」と考えて思い浮かべたのが、放送作家と落語家でした。


まず選んだのは放送作家です。テレビがどのように作られているのかを学びながら、『アメトーーク!』『めちゃ×2イケてるッ!』『笑っていいとも!』などの番組で企画や構成に関わりました。


2004年にはジャリズムを再結成し、その後「世界のナベアツ」としてピンでも活動。「3の倍数と3がつく数字のときだけアホになる」ネタで全国的に知られるようになります。


漫才師として活動し、放送作家としてテレビを作り、ピン芸人としてもブレイクした。そのあと2011年にジャリズムを再び解散し、29歳のときに一度考えていた落語家の道へ進みます。当時の桂三枝さん、現在の六代桂文枝さんへ入門し、41歳で「桂三度」として落語家のキャリアを始めました。


三度さんは、テレビはチームで作るため、自分がうまくいかないときにも周囲が助けてくれることがある一方、落語では座布団の上で一人ですべてを処理しなければならないと話しています。


漫才もテレビの構成もピン芸も経験した人が、さらに芸を身につけるために選んだのが落語だった。


放送作家として培った「なぜこの言葉がここにあるのか」「最後のオチへ向けて何を積み上げているのか」と考える力も、今度は落語を読み解く力として生きています。


三度さんの経歴をたどると、落語はテレビや現代のお笑いから離れた場所にあるものではなく、同じ「人を面白がらせる仕事」の延長にあることが見えてきます。


明石家さんまさんや伊集院光さんには、テレビやラジオの前に落語家修業があった

プロの落語家として修業したあと、別の分野で大きく活躍した人もいます。


明石家さんまさんは1974年、二代目笑福亭松之助さんへ入門し、最初は「笑福亭さんま」として活動しました。その後、活動の中心が落語から漫談やテレビへ広がり、現在の「明石家さんま」へとつながっていきます。


今ではテレビのトークの人という印象が強いさんまさんにも、そのキャリアのスタート地点には落語家への弟子入りがありました。


伊集院光さんも、17歳ごろから三遊亭楽太郎さん、のちの六代目三遊亭円楽さんへ入門し、「三遊亭楽大」として落語家修業をしています。


修業中に「伊集院光」という別名でラジオへ出演し、そちらで人気が出たことから、やがてラジオやテレビへ活動の場を移していきました。


日常のちょっとした出来事を膨らませ、登場人物を再現しながら、一人で長い時間しゃべり続ける。現在の伊集院さんのラジオを知ったうえで落語家時代を知ると、一人で話を成立させる技術のつながりも見えてきます。


声優の山寺宏一さんは、東北学院大学の落語研究会出身です。


山寺さんは子どものころからものまねが好きで、いろいろな声を出したり、人を真似したりすることが得意でした。一方、大学へ入るまでは落語にはそれほど詳しくなく、知っていた噺も『まんじゅうこわい』くらいだったといいます。


大学で落研に入ったのは、「自分の声で何かを演じること」に興味があったからでした。


落語なら、ものまねも使える。一人でしゃべって、人を笑わせることもできる。


そこから落語を聴くことにも、自分で演じることにも夢中になり、大学4年間を落語に打ち込みました。


やがて就職を考える時期になると、落研で人前に立ってきた経験から、「人前で何かを表現する仕事がしたい」という思いが強くなります。それが声優の道へ進むきっかけの一つになりました。


現在では、アニメや洋画の吹き替えで数多くの人物を演じ、「七色の声」と呼ばれる山寺さん。


本人も、落語で経験した「声で表現すること」「登場人物を演じ分けること」は、現在の仕事につながっていると話しています。


落語では、一人の噺家が老人、若者、子ども、男、女と次々に人物を変えていきます。声の高さだけで区別するのではなく、口調、速さ、間、視線、身体の向きまで使って人物を作ります。


山寺さん自身も落研時代には声を作って人物を演じていましたが、名人の落語を聴くうちに、うまい噺家ほど「声を変えている」と感じさせず、人物そのものが自然に聞こえてくることに気づいたそうです。


声優になってからも「声優界の志ん朝」が目標だと語る山寺さん。一人の声と身体から何人もの人物を生み出すという落語の経験は、その後の仕事にもつながっています。


春とヒコーキからナイツまで。落研からさまざまな分野へ

落語研究会から芸能の世界へ進む人は、今もたくさんいます。


最近の例では、お笑いコンビ「春とヒコーキ」のぐんぴぃさんと土岡哲朗さんが、青山学院大学の落語研究会で出会っています。


土岡さんは学生時代、全国の学生落語大会「てんしき杯」で準優勝。現在も落語を続けており、春とヒコーキのYouTubeチャンネルでは古典落語『死神』を一席演じた動画も公開しています。


同じくタイタン所属の「まんじゅう大帝国」も二人とも落研出身です。田中さんは東京理科大学、竹内さんは日本大学藝術学部で学生落語に取り組み、それぞれ全国大会で実績を残してから漫才師になりました。


さらに、東京大学落語研究会で出会った「無尽蔵」、大阪大学落語研究部で学生落語の全国大会を制し、社会人になってからも落語を続けてきた「どくさいスイッチ企画」さんなど、現在ライブやテレビ、YouTubeで活動している世代にも落語経験者がいます。


少し上の世代まで広げれば、ナイツの塙宣之さん・土屋伸之さん、博多華丸・大吉さん、ミルクボーイの駒場孝さん・内海崇さんも大学の落語研究会で出会いました。


お笑い以外にも、三宅裕司さんは明治大学落語研究会を経て俳優、ラジオ、テレビ司会、舞台へ。高田文夫さんは落研から放送作家へ進み、のちには立川談志さんへ入門して立川藤志楼として真打になりました。


落研は学校によって活動内容が異なり、落語だけでなく漫才やコントに取り組むところもあります。


それでも、人前へ出て話し、実際の客の反応を受ける経験を学生時代から積める場所です。


自分では面白いと思ったものを客前で試し、笑いが起きればその感覚を覚え、伝わらなければ次は変えてみる。


その経験が、漫才、俳優、司会、放送作家、映画と、それぞれ違う場所へつながっていきます。


落語家のそばで育ち、別の表現へ進んだ人もいる

落語とのつながりは、自分で落語を演じた経験だけではありません。


女優の池波志乃さんは、十代目金原亭馬生さんの長女で、祖父は五代目古今亭志ん生さん。叔父には古今亭志ん朝さんがいます。


子どものころは志ん生さんの家のすぐ近くに暮らし、朝になると祖父が迎えに来るような環境で育ったそうです。


池波さん自身は落語家ではなく、17歳でドラマデビューし、その後は映画、テレビ、舞台で女優として活動しました。


声優の会一太郎さんは、六代目三遊亭円楽さんの長男です。会一太郎さんとして声優をする一方、2009年には父へ入門し、落語では「三遊亭一太郎」を名乗っています。


山寺宏一さんのように落研から声優へ進む人もいれば、落語家の家で育ち、声優と落語の両方を続ける人もいる。落語と「演じる仕事」のつながりは、こんなところにもあります。


落語には、「話す・演じる・作る」が全部入っている

月亭方正さんは、落語で「笑いは再現できる」と知りました。桂三度さんは、漫才、放送作家、ピン芸人を経験したあと、さらに芸を磨く場所として落語を選びました。


山寺宏一さんは、落研で人前に立ち、声で人物を演じた経験から、表現する仕事を志して声優へ進んでいます。


そのほかにも、漫才師、俳優、司会者、放送作家、映画監督、ラジオパーソナリティなど、さまざまな場所に落語経験者がいます。


人物を演じ分ける。話を分かる順番に組み立てる。言葉だけで景色を見せる。間で笑いを作る。客の反応を受けながら、一人でその場を成立させる。


落語では、一席の中でそのすべてを使います。新作落語なら、自分で物語や笑いそのものを作ることもあります。


進む先がこれほど違うのに、その途中やルーツに何度も落語が現れるのは、一人で座って話す高座の中に、話すこと、演じること、作ること、人前で届けることが詰まっているからでしょう。


あの人につながっていた芸を、今度は高座で聴いてみる

好きな声優が、落語をきっかけに表現する仕事を目指していた。よく見る芸人が学生時代には落語をやっていた。テレビで長く活躍してきた人が、キャリアの途中から落語家としても高座に上がるようになった。


そんなところから落語を知るのも、ひとつの入口です。


実際の高座を聴けば、山寺宏一さんが経験した人物の演じ分けも、月亭方正さんが見つけた笑いの技術も、一席の中で目の前に現れます。


シブチカ落語鑑賞教室では、プロの落語家による4席を約100分で楽しめます。

テレビ、映画、ラジオ、YouTubeの向こう側にもつながっていた「落語」という芸を、今度は生の高座で聴いてみてください。

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参考資料

QJWeb「『アホ、ヘタレ、おもんない』と言われた山崎邦正。なぜ月亭方正は40歳で落語の道を選んだのか」

QJWeb「月亭方正『お金がなくても怖くない、落語を取られるほうが怖い』」

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​公演日

​開演​

​公演名​

​出演者

2026年11月1日日曜日

11:00

シブチカ落語鑑賞教室

吉原あさひ、三遊亭ごはんつぶ

ChatGPT Image 2026年8月7日 11_57_06_edited.jpg
金扇子

​落語って?

座布団の上に、たったひとり。
なのに、気づけば何人もの人物や景色が見えてくる。
落語って、実はとてもシンプルな芸能です。
歴史や楽しみ方、ジャンル、初めて聴くならどこへ行くかまで、
落語の世界をわかりやすくご案内します。

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